次世代型港区女子™みかのサイト

管理人みかが【次世代型港区女子™】になっていくまでの過程や、現在の活動をご紹介していきます♪

22年間「勉強」と無縁だった私が「勉強」をする理由

勉強が苦手な子供の気持ちが100%分かる大人です。

小学校も、中学校も、高校も、短大も、机にむかっているのが本当に苦手で…(泣 塾に行かされるも寝るか、サボるか。家庭教師付けても置き手紙書いて逃げる。そんな子だった。だから私は勉強が苦手な子供の気持ちが100%分かる大人だと思うんだ!(笑

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でも、そんな私が東証一部上場のコンサル会社に入ってしまったから、本当に大変!私は第2新卒枠で入れてもらえたんだけど、周りは全員4大卒、更に大学院を出ている子もいたり、日本語がぺらぺらの美人で聡明な中国人の子の卒業は東大…OMG(オーマイガーッ!) 皆のしゃべってる事が理解できないの。更に皆は新卒で、新卒研修から一緒の仲間たちだから完全一匹狼状態… でもね、ここでやるって決めたのも自分だし、この会社には入れた事は奇跡みたいな事なんだから、頑張らなきゃいけないでしょ?とにかく頑張ったの。入社1か月後に社内テストがあったんだけど、それは猛勉強した。仕事終わりに勉強しなきゃいけなかったから、(当時日本一ブラック企業として雑誌に載ってたくらいだったから 笑)22時とか23時に会社を出て、そこからファミレスに行って勉強!翌朝は常に寝不足で、気を抜くとガクって落ちちゃう(笑 でも、会社で寝たらまずいから、つねりまくって腕はいつも青あざだらけ(笑 会社の近くの神田に越したから家賃も給与の3分の1以上して、贅沢も出来ない。深夜になってタクシーで帰ったら、その分、飲み会の誘いやご飯を我慢する日々(笑 私ストレスで毎日ポテトチップス2袋食べて、1週間で3キロとか太って、ぎっくり腰にまでなって(笑 1人暮らしなのに超大変で、今では笑い話だけど、この時は結構つらかったな~。

でもね、でもね、私、その頑張りのお陰で、テストに1番最初に合格した!この時は嬉しかったなぁ…。中学でも、高校でも「お前に受験は無理だ」って言われていた様な私が、テストに1番最初に合格するなんて!!

それでね、私気づいた。「勉強」って自分が必要に駆られたら絶対にやるし、やらざるおえないし、勉強したいって気持ちになる時って、人生何かに前向いてたら必ずやってくると思うんだ。そして、今毎日色んな事を勉強してる。今まで以上に沢山本を読むし、分からない事は勉強をして、セミナーに出て、毎日が学びなんだ。だからね、今「勉強」が出来ない事や、机にむかっていられなくても、絶対に大丈夫(笑 心配しないで(笑 人って自分のタイミングで「勉強」するものだから♪

不健全なプライドは捨てろ

御社は「私を満足させるだけの仕事」を与える自信がありますか?

 

誰もが目を丸くするような一言で、入社が決定した。(笑 馬鹿は強いと思わない?(笑 ドン引きだよね。(笑

履歴書が通った私は無事に一次面接に来たの。グループ面接だったんだけど、東証一部上場商社からの転職希望者、東大出の二次新卒、NASAからの転職希望者、もうね世界が違うの!笑 皆の会話も良く分からないし、「えー!この中で選ばれるのどうしたらいいのー!」って、グループセッションも良く分からないし...あーもう終わった。(泣 って思った。

でも面接官が最後に、「何か質問はありますか?」と言ったんだ。他の人たちは皆、会社の取引先の展望とか、コンサル方法とか、勤務形態とか、色々聞いていたけど、私はこう言った。「御社は、私を満足させるだけの仕事を与える自信がありますか?」その瞬間、面接会場は凍って、皆の目は、「何言ってんだ?!この子は!」ってびっくりしてるし、面接官も口が開いてる。そして次の瞬間、面接官の爆笑で会場の氷が溶けたの。「え?!何て言ったの?!え?!面白すぎるでしょ!!君!!あるよ!あるある!!どの場所で働きたいの?!採用!」「...え?なんて?」「だから採用だって!」笑い収まらず。「えーーーー!!!」「俺ね、この会社入社するとき、何でもします!トイレ掃除でも何でもします!その代わりスキル死ぬほど盗みます!勉強させて下さい!って言って入社決まったの。なんか俺と被った。」って笑いまだ収まらず。

第一希望の会社に入れた事が嬉しくて嬉しくて、その日の事は未だに覚えてる。こうして私の経営コンサルタントとしての第一歩が始まった。
分からないものは分からない!自分のどうでも良い、不健全なプライドは捨てて、勝負するとこは勝負する!

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因みにこの採用のこと、おもしろ採用って呼ぶんだって!笑

どんな会社でも必ず通る履歴書の書き方

必ず通る履歴書の書き方を研究しました。

私、思った。勉強もできない、短大卒、そのあと就職もせずにアメリカで遊びまくり、『これで上場企業通らないでしょ!』って。で、思いついたんです。入社できたら勉強して追いつけばいい。とにかくまずは入社することだ!って。
だから、どんな履歴書が送られてきたら企業に興味を持ってもらえるか、考えたんです。

1.字はとにかく丁寧に書く!(これは結構当り前よね)

2.職務履歴は”すごいぞ感を出す!”
私の場合、自己紹介に書いた韓国人の社長への日本語教えるアルバイトをこんな感じで書いたよ(実際は、毎回ちょっと話したら、一緒に飲みに行ってた気がするけど…)

『米国にて、韓国の貿易会社(有)Comart systemの代表取締役(韓国人)に日本語を教えるアルバイト。取引先の日本人とコミュニケーションを取ることが目的だった為、主に日常会話を教える。』
↑どう!?なんか”すごいぞ感”出るでしょ?(笑

3.職務履歴に転職への決意を書く

私の場合、もっと自らで考え、がむしゃらに仕事をしたい。経営学、商売のノウハウを勉強したいと思い、転職を決意。現在に至る。』って。凄い情熱ある子に見えるでしょ♪実際にもあったけど、企業はさ、自分の会社で頑張ってくれる子を探しているわけだから、これくらいの記載は必要よね♪

4.自己紹介ページは自分の良い面を尖らせる

私の場合、かなり考えて書いたよ!例えば、性格『根っから明るくひょうきん者です。しかし「やる時は、とことん満足いくまでやる。」といった性格です。又、周りの状況や雰囲気を読むのが得意で、あらゆる場面でムードメーカーになれます。人の話を聞く事が好きで、よく友人から相談を受けます。』ね?ね?なんか会ってみたいと思うでしょ?(笑 これは嘘を書いても面接でばれるから、嘘はかけないけど、自分自身の性格を尖らせて書くって大事。正直、こんな風にブログ書くくらいだし、勿論根暗な時もあるのよ、私。でも、自分の良い面を尖らせて書くことが大事!それから、面接のときは、何度もこの自己紹介ページを読み直して、少しでも、近づくようにしたら良い♪自分の良い面だけに近づいていこうと思うと、なんだかとっても良い子になるしね♪

5.志望動機は、自己PRから書く
志望動機って、背景が必要だと思うんだけど、書ければ自分自身のPRを書いたうえで、背景を書くと、イメージがつきやすいんだよね。
私の場合、『この性格のおかげで私は海外、国内に友人が沢山います。日本の商社に入り海外勤務をしている者、自らで会社を経営している者、職種もばらばらで貿易から金融、不動産、店舗商売など様々です。私はそんな友人達の相談を受けたり、話をしているうちに、私自身も35歳までに自ら経営に関わってみたいと強く思うようになりました。その為、会社経営のノウハウ、世の中にはどの様な仕事があり、どんな事をするのか「勉強したい」という気持ち一心で御社で働きたいと思っています。』ポイントは、自分自身の性格がその会社と合ってるんだよ~ってPR。そこから背景を書いていくの。最後は「勉強したい」がポイント。なんでもやります!って感じだよね。あと、この履歴書出したのが当時21歳?とかだから、10年はこの会社で頑張るぞ!って意欲を見せるために35歳って書いたと思うんだ♪

 私、履歴書を送った先12先中、12先とも一次面接に来てください♪って連絡貰ったの(笑 履歴書で成功すると道が拓けるでしょ?私自身は本当になんの力も無かったただの悪ガキだったけど…

こうして私の道は拓けていった♪

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手に取った本は全て買うべし

本屋で手にした本は全部買う

未だに癖付いてる。私にビジネスや、理論的な考え方を教えてくれた人の癖だった。彼は、年上の友人で、今は素晴らしい事業家でもあるんだ。10代の頃は彼を含めた仲間内で毎日のように遊んでいて、渋谷のセンター街とか、お台場のゲーセンとか、誰かの家とかでたわいもない話をずっとして遊んでいた様な関係だったんだ。でも、そんな彼は本屋に行くといつも私にこう言ってた。
・本屋に行くと、色んな本が目に入るよね
・その中で手にする本は数冊
・その時買わなければ次にその本に出会う事は当分無いかも知れない
・だから手に取った本は全て買うようにしているんだよ
昔から本を読むことが好きだから、本屋に行くのは好きだった。ビジネス書を読みだしたのは23歳からだったけど、それまでは小説や世界史の本を読むのが好きだったんだ。

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あの頃は勿論今よりお金も無かったけど、彼に教わって、本屋に行くと、手に取った本を全て買うようにしてたなぁ。結果、一から最後まで読み切った本は3割程度だけど、それで良いのだとも教わったんだ。
そのお陰か、広く浅く色んな知識が頭に入っていて、普通の女性より少しだけ物事を知っている方だと思うんだ。

それでね、アメリカから戻って、私はすぐ彼に会ったの。気合いを入れ直そうと思ったときに、彼に会いたいと思ったから。でも、私がやっぱり変わってるなーって思うのは、そんな彼と再会して、当時経営コンサルとして活躍している彼をみて、「負けたくない」と思った事(笑  普通の女の子なら、付き合ったらこんな事して貰えるとか、あんな事して貰えるとか夢を描くと思うけど、私は負けたくないと思ったんだ。

10代の頃から毎日の様に仲間内で遊んでいた彼が、活躍してる姿を見て、置いていかれた気分だった。だから、悔しくて、私も経営コンサルになろう!と思ったんだ。安易だよね。完全文系で、高校1年生の時に”数学”で留年ギリギリだった私は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで伸びていた、東証一部上場の大手経営コンサルタントに、勢いで履歴書を送ってみた。数字が大嫌いなんて事は考えもせず…当時、そこは四大卒しか取らないと応募要項に書いてあったのに、堂々と短大卒と記載して。(笑 そしてそれは、帰国後一週間しか経っていない時だった。

四大卒って条件に書いてあるじゃん!笑 

溺れるライオン

動物占いは、我が道を行くライオン

好きな動物もライオン、唯一持ってるぬいぐるみもライオン、動物園に居たら嬉しいのもライオン。何となくライオンの強くて、カッコいい姿。仲間と常に動き、チームプレイで狩りをする性質に昔から惹かれていた。仲間のために、家族のために強くある姿に憧れていたんだ。そんな自己顕示欲の強く、わがままで、独りよがりなライオンは、海を渡り、広いアメリカの地で潔く溺れた

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アメリカ上陸の秋に私は20歳になった。当初掲げたカッコいい渡米の理由なんかそっちのけで、とにかく毎日毎日遊んだ記憶しかない…。両親に甘え、車を買ってもらった。そんな優しさを仇で返すように、毎週末はクラブ遊び、ショッピングやボディボード、毎晩友人の家で朝まで飲んで、起きれない時は学校もサボる事もあった。(今となっては本当にごめんなさい…)月に1、2回は車でラスベガスやサンディエゴ、メキシコに行き、とにかく遊びまくった。そんな私が、その韓国人と出会ったのは、バスケットボールのゲームだった。学校のメンバーも何人か来ている中に彼が来るようになった。学校の中でも1番レベルの高いクラスの人で、当時28歳。私の8個上。なのに車はレクサスに乗り(当時はまだレクサスなんて殆ど乗られてなかった)眼鏡に角刈り、身長も私と同じくらい(165cm)お世辞にもカッコ良いとは言えないけど、韓国人なのに英語も日本語もペラペラ、何か異彩を放つ人だったんだ。

私は昔から、そういう変わった人が気になるタチだから、すぐさま仲良くなった。彼は事業家でもあった。韓国とアメリカに家があり、お祖父さんが早稲田大学を卒業していることから、日本語も学んでしゃべれる人だった。彼は、世界の事、日本の事、韓国の事、宗教の事、遊び狂ってた私の知らない沢山の事を教えてくれた。それでも、まだ自分がナンバーワンだと思い込むライオンは、私も彼の知らない事を沢山知ってるんだから!と、自慢気にいつも自分の話をしてた。自分と彼に大きな大きな差がある事もつゆ知らず。

ある時、将来の話になり、私は意気揚々と、ソーシャルワーカーに興味があるし、NGO団体にも入りたい、と話をしてみた。正直言えば、当時は金髪に付けまつ毛、スカルプで爪は1cm以上飛び出していて、若干20歳、彼に「みかは凄いね、偉いね」と言ってもらえると期待していたんだと思う。けど、彼は褒め言葉を待つ私にこう言ったんだ。「みかが今NGOに入ったら何人の子供を救えるの?」「そして世界は変わるの?」頭をプールに沈められて溺れる感覚だった。自分が演じてた強くて皆の憧れのライオンは、無知な20歳の女の子だったんだ。

彼は続けてこう言ったの。「みかがまず、自分自身に力をつけて、まずは周りの人を幸せにすることが出来た時、必ず今の何千倍、何万倍の子供の手助けが出来る人になる」と。その通りだと思った。大好きなオードリヘップバーン、ビルゲイツや、アンジェリーナジョリー、ウォーレンバフェットや著名人らがボランティア活動に力を注ぐのは、彼らにそれだけの力があるのだから至極当然の事で、億万長者の7割の人間が慈善活動をしている理由も納得出来る。(もちろん、自分を良く見せたいという一種の自己表現であったとしても、それは多かれ少なかれ誰もが持っている健全な感情だと思う)そして思ったの。”もう帰ろう、ここで遊び狂ってるのはもう終わり””私のやる事はまだまだいっぱいある”って。そうして、若干20歳の私は、渡米の締めくくりに、ニューヨークに旅する事にしたんだ。12月31日をニューヨークのエンパイアーステートメントからニューヨークの街を見渡して、夢を胸に誓い、タイムズスクエアでカウントダウンを過ごし、1月1日元旦の早朝にグランドゼロでアメリカの土地に一旦お別れを告げて、自由の女神に必ず戻ってくる事を誓って

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一旦さようなら!アメリカ!
次にこの土地に来る時は、必ず成長した私で来るからね!

フライパンと拳銃

銃弾はフライパンを貫通するのか

そんな事は一切考えなかった。

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ご存じ無い方にはお伝えしたいんだけど、アメリカでもカリフォルニアは、ニューヨークとは異なり、移動手段が基本車。歩いている人間なんてめったに見ない!更に、LA周辺は"危険地区"と呼ばれる地域が多々存在している。そんな事全く知らない私が住んだアパートメントは、(家族全員で昼間から煙を焚くような)メキシカンの家族が経営する、かなり治安の悪い地区にあるアパートメントだった。住人は黒人さんやメキシカン、白人さんの学生さんで9割…勿論良い人も沢山いたけど、怖い目にも沢山あったし。(留学ジャーナルの斡旋の元、日本からアパートメントを契約した 後で聞いたら1か月500ドルのアパートメントに750ドル近く支払いしていたらしい…)この時点で、普通呆れるよね?(笑 
英語も話せない、1人暮らしもした事が無い、車も無い、のにアメリカで1人暮らしするの!?って。 しました。そしたら凄いことが起こってしまった!さすがアメリカ!スケールが大きいのか、適当なのか!
①鍵が壊れている
②電気が通っていない
③お湯が出ない
OMG!死ぬじゃん!絶対死ぬじゃん!今夜死ぬじゃん!(笑 
いやいや、初日で死ねない。時間は昼の12時!歩いて30分かけてスーパーに行き、フライパンとキャンドルとパンを購入!(1人で道路を歩く日本人の女の子、めちゃくちゃ見られた)
これで生き延びる!本気で思った。
明日の朝まで生き延びたら学校だし、学校で先生に伝えれば何とかなる。←この時点でもうわけが分からない状態(笑

幸い、携帯電話だけは何かあった時のために国際電話を繋いであったので、すぐに母に電話!(ご存じうちの母は超強い…電話した数時間後に都庁に出向いて、今すぐ何とかしなかったら留学ジャーナルの免許取り消し依頼するぞって言ったらしい 笑)

夜が更けて行った20時近く、玄関がノックされる。フライパンを持っておそるおそる出てみると、留学ジャーナルのLAのスタッフさん。手にはありったけの非常灯とバナナ(爆笑 「すぐに鍵と電気なんとかしますから、明日まではこれでお願いします」と。まさかのそれらを置いて彼は帰って言った。ここからがアメリカ初日の私の勝負!!シャワー浴びている間に強盗きたら嫌だからさ(というか水しか出ないしさ)買ってきたタオル濡らして体拭いて、バナナとパン食べて、ありったけの非常灯をつけたまま、毛布にくるまり、フライパンを持って、玄関に座って寝てみた。これ、フライパンでどう戦おうとしていたんだろう、私。
まぁ、それでも寝てしまうのが私。爆睡。次の日の朝、”あ~生きてた”と心の底から喜んだ。いよいよ学校に行き始める私。そこでの各国の人々との出会いが、未熟すぎる私を、大きく成長させていくのでした!!

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